日本の梅の歴史
日本に梅が伝わってきたとされるのは8世紀(奈良時代以前)と云われてます。
遣唐使が中国から漢方薬「烏梅(うばい)」を、食物や薬物の解毒、熱冷まし、下痢止めなどの手当に利用されていたと言われています。湯飲みに入れてお湯やお茶を注いでお飲むと、汗を促して熱を下げると言われています。
日本人に愛され続けている「梅」は、奈良時代以前に「漢方薬」として中国から来た説が有力のようです。
漢方薬の「烏梅(うばい)」について記します。
梅の原産地は中国
中国の長江中流、湖北省の山岳部や四川省だと言われ、3000年以上も前から、烏梅(うばい)=青梅を燻製にし薬用として用いられていた様です。
梅の実を、かごに入れ、竃戸(かまど)の煙で黒くいぶし、乾燥させて作ります。
色が黒く良い匂いがあり、カラスのように黒い色から「烏梅(うばい)」と名付けられた様です。
梅の起源
梅は中国原産の花木(かぼく)で、2000年前に書かれた中国最古の薬物学書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』には、梅の効用が記されており、日本に伝来したには2説あり、3世紀終わり、
百済(くだら)の帰化人・王仁(わに)によるものと、
欽明きんめい天皇(531年即位)の大和時代に、中国・呉の高僧がもたらしたという説があります。
文献に「梅」という文字が最初に現れるのは、日本最初の漢詩集といわれる『懐風藻(かいふうそう)』(751年)におさめられています。又、日本最古の『万葉集』には、梅を題材とした和歌が数多くあります。
昆布梅・700gあっさり味の南高梅
- 販売価格:
- 5,400円(税込み)
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- 商品コード
- 92800
- JANコード
- 4945810112702
- カテゴリー
- 梅製品
- メーカー
- 株式会社 南部
- ブランド
- 南部川総本舗
- キャンペーン
- 塩ひかえめの梅
- 個別付与ポイント
- 1ポイント
1)奈良時代~鎌倉時代400年前の梅干し
梅の実は奈良時代には柿・桃・梨・あんず等と同様に生菓子として食べていたようです。そして、梅の効用を体験的に代々伝わり、梅の塩漬けを保存食、食薬品として重宝されていました。
梅干しの原型ともいえる梅の塩漬けが「梅干し」として初めて書物に現れるのは平安時代中期です。
また、村上天皇(在位946〜967年)が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復されたという記録もあり、これが元旦に飲む縁起物として今に受け継がれている「大福茶」の起源とされています。
この年が申年であったことから、以来、申年の梅干しは特別縁起が良いとされ珍重されてます。
鎌倉時代の文献には、「梅干ハ僧家ノ肴」と書かれています。
つまり、梅干しはお坊さんの酒のさかなとして利用されていたわけです。
この風潮はやがて、武家の食膳にも広がり、武士の出陣の際には、縁起をかついで必ず梅干しを食べたといいます。
2)戦国時代
飲みやすい粒状の梅肉エキス
戦国時代になると梅の効用はますます認められ、兵糧食として用いられた梅干しは軽くてかさばらず、日もちもよいので、大変重宝されました。
また、兵士が戦場で思う存分働いても疲れることなく、かつ栄養を補給でき、しかも軽くてかさばらない、そんな理想の兵粮食を求めて各藩が熱心に研究した食べ物が「兵糧丸」です。
この兵糧丸にも梅干しが使われていました。たとえば、甲州流秘書にある「忍術兵糧丸」は、寒ざらしの米、蕎麦(そば)粉、かつお節、鰻の白干、梅干しの果肉、赤松の木肌(きはだ)を混ぜてつくったものです。
3)江戸時代
江戸時代に入ると、貴族や武士だけでなく、庶民の食卓にも梅干しがのぼるようになりました。
江戸中期には、町なかでも加工品としての梅干しが売られるようになり、梅干し売りが声をあげながら町を歩く姿は、冬の始まりを告げる風物詩となっていたようです。
また、梅干しの紫蘇(しそ)漬けが普及し始めたのもこの頃で、ほかにも梅を砂糖漬けにした甘露梅など、多くの梅の漬け方がこの時代に生まれました。
また同じ頃、本草学の発展と普及に伴い、梅の効用が広く知られるようになりました。本草学においては、梅の花・実・葉・枝・根すべてに効用があると述べられています。
さらに、江戸末期には現在の梅肉エキスの原型が考案され、『諸国古伝秘方』(1817年)という日本各地にあった健康法の
口伝(くちつたえ)を記録した文献にその作り方が記(しる)されていることから、梅が当時から人々の暮らしに欠かせない存在であったことがわかります。
4)明治時代〜昭和・平成時代
明治維新を境に梅の健康効果に対する関心は一時途絶えます。
文明開化と称し西欧の知識がもてはやされ、
江戸時代のものは旧弊(古いしきたりの弊害)とされたためです。
その後、明治から大正にかけて起こった日清・日露戦争や第一次世界大戦では、梅干しが重要な兵糧食として採用され、増加する梅の需要に合わせて、和歌山県をはじめ、全国各地に梅林が広がりました。
しかし、第二次世界大戦中はサツマイモ栽培が奨励され、梅の生産量は激減。戦後、日本の復興発展とともに梅の効用が再評価されると、梅の栽培も再び盛んになり、梅を使ったさまざまな食品も登場してきました。